夫への殺意

初めて書く記事にしては、物騒なタイトルですが

出産を経て、こんな激しい感情があるのかと本当に驚きました。

 

殺意

 

本当にストレートな純度100%の殺意。

あんなにも愛おしくて仕方なかったはずの人間に対する

こんな途方も無い感情。恐ろしいですね。

 

この記事は当時の日記を元に書いているのですが

 

どうやら当時の私は本当に激しいもので

本気で殺害計画を考えたレベルです。

夫は80kgあるので、私はその半分といかないまでも

非常に部が悪い戦いになります。

その辺をかなり真剣に考えていました。

 

さすがに娘が生まれて、だいたい1年が過ぎようとしています。

この時の殺意の正体を、すこし考えて見たいと思います。

 

 

 

それでは皆さん、玉ねぎを想像してください。

そうです。茶色くて丸い、あれです。

スタートはそこからです。

 

【1 ステキな旦那様編】

妊娠中、夫はとてもサポートしてくれました

時には腹がたつことがあっても、私とお腹の子を本当に大切にしてくれていました。

立会い出産の際もずっと起きてサポートしてくれました。

なんてステキな人と結婚したのだろう!!

今思えば、半端じゃないハイでした

そうそして、このハイより生まれ出でし

 

「出産という半端ではないすごいことを成し遂げた達成感」

 

結論から申しますと、これが殺意の原石です。

そして先ほどの玉ねぎ

これが「これからの夫への期待」です。

 

【2 おいおいこんな生活マジで続くのかよ編】

これからの3人の生活に喜びや不安を噛み締め……

るまでもなく始まる怒涛の日々。不眠。体調不良。終わらない家事。そして育児……

 

一方夫は決まった時間に起きて、決まった時間に仕事に行きます。

その中で夫の中にある

「妻はずっと家にいる」「俺は仕事をしている」

という思想に気づきます。

はい。この思想がどんなに口でねぎらってもらっても、根本に見え隠れしています。

ここで玉ねぎの皮はボロボロに剥がれ落ちます。

まだギリギリ

「男性の父性は生まれてから育つ」

みたいな

どう考えても遅刻ですという思想から、まだ

まだ許せる。

しかし、玉ねぎの皮をご覧ください。そうです。めちゃ薄い

自分が思っているよりもずっと、その許容は小さいものでした。

 

【3 お前それはマジで言ってるのか編】

吸われる乳が痛い。バンバンにはる乳が痛い。寝不足。

日中は起きる時間が多くなってきた我が子。滞る家事……

そして夫は飲み会に行くのです。はい。

日付が変わってもなかなか帰ってきません。

そんな夫は言わないと家事をしてくれない

なんなら小言やら、日中の過ごし方への指摘…

 

「いいよな~昼寝とか出来て羨ましい~」

 

自分に余裕があるときには手伝ってくれますが

 

ちがう、欲しいのは私が大変な時の援助だ

 

しかしこのころにはもう旦那への過度の期待は

絶望となって自分に跳ね返ることを学びます。

玉ねぎはもう皮でない部分もどんどん剥がれ落ちていきます。

 

もうオニオンスープは作れません。ギリハンバーグも無理でしょう。

 

 

【4 阿修羅、誕生編】

もうここまできたら自分の精神力がかなり強靭になってきます。

もはや一人でだって生きていくぜという自立心すら芽生えてきます。

いや、だって妊娠してつわりと戦い、職場では迷惑かけまいと踏ん張り、産休ギリギリまで子供をかばいながら働き、家庭に入り、この世のものとは思えぬ激痛に耐え

ダンプカーにはねられたくらいのダメージを引きずりながら生活が宙返り3回転半ひねりしたくらいの激変になんとか食らいついてるのに・・・

夫、のんびりのびのびかわいいね〜かわいいね〜言うだけ。

 

自分の生活スタイルはほとんど変えない

二人三脚ならばずっと私の右足にくくられた夫は地面を引きずられまくっている状況だ。

なんならロードローラーで轢きたいくらいだ。

このころ期待の玉ねぎなどもはやニンニクサイズをギリ保っているレベル

 

そう、そして生まれるのです。

 

こいつ、いなくてもよくない?

 

でも子供生まれたばっかりで離婚とか・・・・

せや・・・・

 

死ねばよくない・・・・?

あわよくば事故死・・・

 

非常に恐ろしいです。このステップ、だいたい半年くらいで形成されたんですけど

約一年経った今、振り返ると夫も夫なりに大変な部分はたくさんあったと思えるんです。

 

飲み会だってシーズン超えたら全然行かなくなった

休日は買い物や娘と遊びに連れていってくれた。

私が出かけるために娘を見ててくれたり。

してもらったこと、たくさんたくさんありました。

私だってダメダメでした。

もっと自分でやってほしいこと伝える必要があったと思うし、もっと怒らずに言えることだってあった。

やってきてもらった事への感謝を蔑ろにしていたと思うことも多々あります。

 

でも当時は、冒頭に話した「すごいことやった達成感」のせいで

「なんでもっとちゃんとやってくれないんだよ!!父親だろ!?」

という気持ちと、自分も自分で「仕事をしていない」ということに罪悪感があったんだと思います。

だからその板挟みにあってイライラしてしまっていたなと思います。

そして、最初に持っていた玉ねぎ大の期待が大きすぎた。

当たり前かも知れませんが、乳児がいる生活を具体的にイメージできていなかったのです。

甘く見ていたと言ってもいいと思います。

だから理想だけが大きくなっていってしまっていたのです。

 

だから、本当はニンニク大の期待を保っていれば十分だったんです。

そうすればきちんと感謝の気持ちも生まれてくる。

 

子供を産んだという全能感にすら近い達成感という原石が

板挟みから生まれるイライラによってピカピカに磨き上げられ

殺意が誕生したのでした……

 

みなさん。その殺意、今も輝いてますか?くすんでますか・・?