「育児は大変じゃない」の危険

昨今、炎上商法がちらほら話題になっていますが
今回は、そちらにちょっと便乗をしていきたいと思います。
炎上しませんように……

子育ては大変

出産前、さまざまなところから飛んできたセリフかと思います。

Twitterをやってると色んな意見や考え方がたくさん集まります。
で、私が今思うのは



どんなに時代が進んでも、どんなにサポートが発展しても育児は大変だ。ということです。




むしろ育児を大変だと思えないのは
かなり危険なことなんでは、思うんです。



思い返せば、出産前はとにかくこの大変という言葉に、とても構えていました。
産直後、「ああ!これがかく言う育児大変か!」と理解した気になります。
だって


抱き方ひとつ間違えたら死んじゃうんじゃないか
寝てる間にこのか細い呼吸が止まるんじゃないか
触っても触らなくても死にそうなふにゃふにゃの赤ちゃん。


生命維持させるだけでも本当に本当に精神が消耗します。
そこには、自分の行い一つで消えてしまうかもしれない命があるんです。


2、3ヶ月ほどになるとあれだけ至近距離で確認していた寝息も、立派になります。
授乳もそこそこ手慣れ、断眠にも対応できるようになり、昼間はまとまって昼寝をするようになった娘・・・・


言うほどじゃーん
と、思ってました。ほんの一瞬。
本当に一瞬。


ちょうどこの時が

娘が死ぬんじゃないかという不安と
実際の死にそうな娘の様子が一番少ない時期

だったようです。
なぜなら娘、まだ動かなかったから。


そのうち寝返りができるようになります。
でも寝返り返りが出来ないうちは、窒息が恐ろしくて恐ろしくて、何度も体を戻して呼吸を確認する深夜
寝返りが上手になれば脱走します。危険なものが周りにないか、床に顔をぶつけないか。
娘が成長するにつれて、動きが増して、行動範囲が広まって。
ついには立ち上がり、そしてひっくり返り、歩き出し、ひっ転び・・・


そして最近、あの産直後のわかった気がしたのは違ったと思いました。



みんなが言っている、先祖代々言っている
「育児は大変」はこれだ!!
と・・・・
しかしそしてこれだ!はおそらく更新されていくことでしょう。考えただけでも…
いや、考えたくない。




それで、何が大変なのかと。
この育児が大変だ!と言わしめるもの
命への責任、だと思うんです。
私たちの行動一つで、簡単に消えてしまう命がそこにあるのです。


例えば、どんなに保育園やシッターに預けて、身体的な負担が楽になったとしても



保育の環境が悪かったら?
もし、異変に気付いて貰えなかったら?
子供に何かあったら預けてしまった自分の責任だ……



そういう精神的圧迫は、家で育児をしている人となんら変わりない、むしろ直接自分が見ていない分、よりあることだって考えられます。
だから、命への責任を自覚している人なら、絶対に楽なんかじゃないんです。

もっと大変な人もいると思って「私なんて楽してる」と思ってしまう人もいるかもしれません。



ただ、本当に心から「育児は楽だ」と感じている人は本当に「命への責任」というものを自覚しているのだろうか・・・と疑問に思ってしまいます。




常にアンテナを張って、危険はないか、変わりはないか、安楽であるか。
そういうことを考えながらしていくのが育児じゃないですか。

(いや、育児1年目のペーペーが育児はこうだ!というのじゃなく
あくまで私は、現段階でそう思うんです。アッ…投石はおやめくださいッ……)


これって、ものすごく繊細で、精神力が必要で。
人それぞれキャパシティはあっても、少なからず辛いことは間違いないと思うんです。




だから楽と言ってる人は、正直強がりであってほしい。



本気で言っているなら、子供の命が危険に晒されてるということです。




育児の要領が悪いとか、子供の育てやすさの個人差だとか、子供へのアプローチの仕方の正否だとか。
そういう意味での楽、は存在しているかもしれません。

ただ、育児という大きな事象はどうあがいても大変だし、大変であるべきだと思います。
常に命の責任がつきまとうものが、大変じゃないわけがないんです。



だから「子育て、どう?」と聞かれれば
私も絶対に、可愛いよ、楽しいよと並列して大変だよ。ということでしょう。