私は母性がない

母性は出産で

 

私の母は、私を産んだ時

 

 

「なんて可愛い子なの!この子のためならなんでもできるわ!」

 


と思ったらしい。

 
正直、私は全く理解できなかった。


さらに言えば、お腹にいる時は大きくなっていくことへの喜びや動いた時の嬉しさはあったが

仕事をしているときの煩わしさや、体調不良への苛立ちの方が多かった。

 


とてもとても不安だった。

 


自分は母親になっていいのかとすら思った。


テレビや本には愛おしそうな視線でお腹を撫でるお母さんのイメージ


現実とのギャップに押しつぶされそうだったが
きっと、出産すればそのイメージのような「お母さん」になれる
一縷の希望を抱いていた。

 

 


しかし、現実私が出産した時思ったことは

 


「やっと終わった。」「旦那にそっくりだ」だった。

 


必死で「ちいさい、かわいい。」と小さくひりだした声が、今もビデオに残っている。
入院中も疲労感と不安で、とにかく疲れたという印象しかない。

 


本当に絶望した。

自分には、母性がない。

 

 

母性がないという思いは家に帰ってさらに強くなった。


終わりの見えない寝不足。ボロボロの乳首。
鏡を見れば生気のない虚ろな目で、荒れた肌のむくんだ女がいた。

 


さらに、私は授乳時に耐え難い気分不快を起こしていた。

 

 

慈愛に満ちた表情で、おっぱいを飲む子どもを優しく抱く。

 


そんなものはどこにもなく、ただただ暴れ出したいような、イライラというか、気分がずんと落ちるような感覚を誤魔化すようにスマホを操作する。
夫はそれを見て、不愉快そうな顔をしていた。
必死で気を逸らさないと、こどもを放り投げてしまいそうだった
そのことも、私を酷く絶望させた。

 

 

「母性がないとバレたら、異常者として後ろ指をさされ、子どもから離されるのではないか」

 


という恐怖から、誰にも言えず、じっと一人で自分は母親の資格がない、と思い
こんな人間の元に生まれてしまった子どもに申し訳なさでいっぱいだった。

 

 

気付きは唐突に

 

そうこうして、半年ほどが過ぎたとき、夢を見た。

 


詳細は思い出せないが、子どもと離されてしまう夢だった。
必死で探しても見つからない。ベビーベッドからいなくなった子どもは
どこにもいなくて、もう会えないことを理解した。
ボロボロ涙が出て、耐えられないほどの大きな喪失感で暴れまわった。
受け入れられなくて、家を飛び出して、走って走って

 


そうして、目が覚めた。
寝ていたはずなのに、嗚咽が止まらないほど泣いていた。
心臓がどきどきして、ベッドの横のベビーベッドを焦って覗くと
そこにはすやすやと大の字で眠る子どもの姿があった。

 

 

次の日ぼーっとその夢を思い出した。
子どもが生まれて、今の今まで欠かすことなくオムツを変えて
ミルクをあげて、夜は起きてあやして

母性がないと思っていた自分はそれらを
責任とか、義務感でやってるような後ろめたさがあった。
でも、子どもに会えなくなることが、あんなにも自分にとって耐え難いことになっていた。

 

 

 

・・・・もしや。これが母性ってやつなのでは。

 

 


そう思ったら、なんだか子どもの笑顔がとっても尊いものに思えた。
「おかあさん」のスタートラインに立てた気がした。
こんな私でも、この子のために必要だと思えた。

 

 

母性が子どもが生まれてすぐ出るなんて、嘘だ。
そういう人もいるのかもしれないが、そうじゃない人がいたっていいじゃないか。
母性なんて美化されて神格化された言葉にまどわされなくていい。


子どもが好きだ。可愛い。愛おしい。失い難い。それでいいじゃないか。


子どもが生きている。自分が必死で生かしている。

それだけで私たちは母親じゃないか。

 


いい母親を目指すのは、もっと先でいい。
今はまず、母親になることだけで精一杯の自分を
もっと許していきたいと思う。