親の言葉、呪いの言葉
私は、両親が(妹も)ちょっとエキセントリックな家庭で育ちました。
とりとめて自分の家庭環境が劣悪、という気持ちはあまりなかったのですが
(もっと大変な人はたくさんいるし……)
現在は一家離散してるくらいにはエキセントリックです。
もちろん親の教育が、影響が全てで私がこんな感じになった!!!
ということは無いのですが
自分も子育て、教育という責任を負うようになり、今後気をつけたい!という気持ちを含め、親から授かりし呪いを紐解いていきます。
「貧乏」
これはめちゃくちゃ言われました。
物心ついたころからずっと言われてました。
そして
「自分が親になったら絶対に子どもに言わないようにしよう」
と思った一言の一つです。
いや、本当に貧乏ではあったと思うんですけど
とにかく貧乏貧乏言われるもんだから、子供の頃
「いやだ〜いやだ〜!買ってくれなきゃ動かない〜!!」
ってやつやったことはおろか、駄々こねた記憶もないです。
とにかくお金がかかる=親の負担という構図が出来上がり
負担をかけないようにしなければ、という思いがとても強かったです。
常になにかにお金をかけるときはその対価を強く求められたので
行きたい大学、やりたい学問、目指すものは
いかにお金をかけずに将来稼げるようになるか、という観点のみでした。
ここでよく
「本当にやりたいことなら自分で奨学金を借りるなり、バイトするなりして努力すればよかったじゃん!それだけ本気じゃなかったんだよ!」
的なことを言う人が絶対にいるんですけど
ちゃうんですよ。
貧乏という呪いをかけられて育った人間は
お金がない=地獄≒死ぬしかないくらいの強迫観念が植え付けられてます。
そういうこと言えちゃう人は、多分おうちがちゃんとしてて、結局なにか失敗しても戻るところがある人か、自分に絶対的な自信を持って生きてる人なんだなあっていう感じです。
ひねくれてるかもしれませんが。
「結果を出して」
まるでノルマを課された会社員みたいな言葉ですが。
勉強しなさいって言ったこと無いの~
が母の自慢でした。
で、ある時すごく自分なりに努力したテストで成績が振るわなかったとき
「点数が取れないってことは、勉強してないってことでしょう。
頑張った?でもちゃんと取れてないよね。」
「ちゃんと順位とれれば勉強しなくてもいいよ。」
とまあ、結果=努力の量=評価対象みたいな。
結果が良ければ課程は関係ない。ともとれる方針でした。
ので、私にとって勉強は、なにかを学ぶということよりも
いかに効率的に点数をとるか、という作業でしかありませんでした。
今でも勉強なんて大っ嫌いです。
「お前みたいのはごまんといる」
結構これが響いてますね。
昔からうぬぼれは恥、謙遜は美德みたいな教育方針だったので
とにかく
「別にお前はとりとめて可愛くない」的なこと念押しされてました。
褒められたことと言えば、絵が得意でよく賞をとったりすると褒められてましたが、それも小学校まで。
そこからは自分よりも上手い人がいくらでもいて、結局なんの取り柄もない人間として落ち着きました。
ここらへん、今の自己顕示欲というか、自己承認欲求みたいな部分の根源かなって思うんです。
自分はナンバーワンでもオンリーワンでもない。
じゃあ自分はどんななの?
という気持ちは今でもずっと引きずってます。
見出しのセリフは、私が目指したい職業が芸能系で、どうしても目指したいと相談した時に言われた言葉でした。
たしかに実らないことの方が多い世界です。
たしかに親になってみれば、そんな将来の保証なんて全くない世界に飛び込まんとする子どもの身を案じての言葉かもしれません。
でもその言葉が、私は今の今まで忘れられずにいます。
私怨混じりになってしまいましたが
今が一番子どもだった自分と、親になった自分の両方がある時期だと思うので
「・・・もうだめだ・・・私が私であるうちに・・・・」
という感じでそのうち親100%になっちゃうかもしれないので書きました。
やっぱり、親の言葉って呪いにも魔法にもなると思うんです。
ひとりひとり子どもも違えば親も違うので、難しいのかも知れませんが
将来娘には心に残る暖かい言葉だけ与えたい。
どんなに何気ない一言でも、それが子どもに与える影響の大きさをよく肝に銘じて娘と接することを、ずっと大切にしていきたいです。